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父と母の闘病生活とわたし

父はがん・母は白血病で他界。闘病生活を送っている両親の気持ちや両親を支える(介護)する家族の実話

母の葬儀

「神道」のお葬式「神葬祭」

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「神道(しんとう)」って今ではあまり聞きなれないかもしれません。

皇室の葬儀はご存知の方もいらっしゃるかと思います。簡単にご説明をしますと、神道(しんとう)の形式によって行われる葬儀を、神葬祭(しんそうさい)といいます。 神葬祭では、人が死去(帰幽といいます)しますと、神社の神職が神道の形式にて執り行います。

 

 

神道で行われる葬儀は仏式とは異なります。

仏式は故人を極楽浄土に送るための葬儀ですが、神葬祭は故人の御霊をその家にとどめて、家の守護神となってもらうための儀式です。 神葬祭では仏式のように焼香や線香を用いることはなく、これに当たるものが玉串奉奠(たまぐしほうてん)です。

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玉串とは榊の枝に紙垂(しで)を付けたものをいいます。 玉串を捧げたあとは二拝二拍手一拝(にはい にはくしゅ いっぱい)の作法で神社と同じようにお参りしますが、神葬祭や五十日祭までの拍手は、まだ神様になっていないので音を立てないようにそっと手を合わせる忍び手にします。

神道において死とは穢(けが)れであるため、神の鎮まる聖域である神社で葬儀を行なうことはほとんどなく、故人の自宅か、別の斎場で行ないます。神道でいう「穢れ」とは、「不潔・不浄」だけを意味するものではありません。 肉親の死による悲しみ、それによって、ハツラツとした生命力が減退している状態、それこそが「気枯れ」=「けがれ」であるといわれています。

 

お坊さんではなく神主(宮司)さんが行います。お線香の臭いもなくまるで結婚式の神前式のような感じなので、暗い感じの哀しいお葬式と言うより雰囲気も明るく、心身共に清められる感じの葬儀でした。

また「神葬祭」と言うように「祭典」になるので、四十九日のことを五十日祭、一周忌は一年祭と言い法事はある意味「お祝い」のような感じです。

亡くなったのにお祝い?と普通は思ってしまうかもしれませんね。誕生日のような感覚でいるとなんだか不思議と寂しさは無くなっています。

 

家の守り神になってしまったので今ではいっぱいお願い事をしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

MDSと闘った母の死後

自宅に戻った母

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実家は賃貸の集合住宅なので亡くなった人を部屋に入れると「事故物件扱い物件」となるのではないかと思い、父の時は自宅へ返してあげなかったのですが、オーナーに確認したところ「大丈夫」だとのことで母は1日だけ自宅へ戻ってきました。

 

体は冷たくなっていますが、布団をかけ寝ている姿を見ているとただ寝ているだけにしか思えません。

 

亡くなってすぐ病院へ駆けつけた母の大親友が「顎を押さえて口を閉じないと、口が空いたままになっちゃう」と一生懸命顎を押さえてくれました。

しかし完全に固まるまでには結構時間がかかるので首元に丸めたタオルを置き、口が開かないようにしました。

 

葬儀の準備

母の写真を皆で選んだり、母の好きだった食べ物を用意したり・・・

「ひまわりのような明るい人」と言われていたので献花はひまわりにしてもらいました。

 

母の死後1日が経ち、葬儀までの数日間は夏場だったので葬儀屋さんで預かって貰うことになりました。

葬儀屋さんへ移動した母。棺に入いる「納棺の義」を行いました。

※我が家は仏ではなく神道なのです。

 

「お顔にハリを出すために美容整形でも使用する注射をして膨らみをだしますか?」とか「口に綿を詰め頬を膨らませますか?」など、葬儀屋さんから色々お話を聞いたのですが、口の中に綿詰めちゃうのは可哀想な気がするので却下。注射も今まで散々注射をしてきたから死んでまで注射するのは可哀想。

「唇がほんの少し開いていますがボンドのような接着剤でくっつけちゃいますか?」・・・即答で「やめてください」とお断りしました。

結局ありのままの姿で棺に入りました。葬儀屋さんが枕の位置を調整しほんのチョットだけ開いていた唇もなんとか閉じて見えるようにしてくれました。

 

葬儀屋さんで預かって頂いている間、毎日母の顔を見に行きました。

本当ただただ寝ているだけにしか見えず、触ると冷たいのが不思議でした。

 

そして今日は母2年目の命日です。

まだ2年しか経っていないのか・・・と思ったり、もぅ2年も経つのか・・・と思ったり。寂しさはもう全くない!ってことはナイです。アッチの世界で何してるんだろう・・・なんて思う時はまだあります。

 

MDSと戦う母の闘病生活と私の介護~ 母の旅立ちの日 

いつかはこの日を迎える・・・

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母が息を引き取ったあと、葬儀屋さんに連絡し午前5時頃、病院へ迎えに来ることになりました。

 

私たち家族は一度待合室で待機。

その間、看護師さんは母に取り付けられていた点滴を始め医療器具を取り、万が一の時ように紙パンツを履かせてくれたりしてました。

しばらくすると看護師さんから病室へ入るように言われました。

「お迎えまで時間がまだありますから、ご家族の皆さんでお身体を拭いてあげたり、お化粧をしてあげたりしませんか?」と提案され、皆で旅立ちの準備をすることにしました。

 

母らしい洋服に着替えさせ、娘・孫たちで化粧をし、髪の毛をセット。

その後、霊安室へ移動。

しばらくすると時間より早くお迎えに来たため、母を車に乗せ皆で実家へ帰宅しました。

 

最後の最後は担当医でもなく、お気に入りの先生でもなく、たまたま当直していた先生だったのがとても残念でしたが、看護師さんの家族までも気遣ってくれる優しさに本当感謝しました。

父の時の病院とは全く違って、亡くなる直前まで、亡くなってからも、家族にまでも「人として」接してくれる心温かい病院でした。

 

母はMDSと診断されてから担当医が4人も変わりましたが、皆さん本当熱心で一生懸命母と私(家族)と闘ってくれました。そして一番大きかったのは看護師さんの心温かいサポート。外来で母を見かければ声かけてくれたり、入院中は話し相手になってくれたり・・・

中にはちょっと「酷いなぁ~」と感じる看護師さんもいましたが、多くの方に支えられて本当幸せだったのではないかと思います。

そして私には「心にぽっかり穴が空いてしまって辛くなったらいつでも遊びに来てください」と外来看護師さんから温かい言葉を頂きました。

MDSと戦う母の闘病生活と私の介護~ 入院6日目を迎える  

なんだか嫌な予感がしていた。

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深夜12時頃、私1人で母のいる病院へ向かった。

母は相変わらず苦しそうに呼吸をしていましたが、顎の動きは小さくなりました。

熱はなかなか下がらず、医者も看護師さんも「熱さえ下がれば少し楽になるのに」と熱を下げる点滴を入れてくれたり、氷枕をこまめに交換してくれたり懸命に治療してくれました。

 

深夜2時半頃。

酸素数値が全く測れなくなり、呼吸の回数も少なくなってきました。

看護師さんは心電図モニターを病室へ持ってきてくれました。

医師がやってきて「まだ来ていらっしゃらないご家族様がいましたらご連絡をしてください」と告げられ、即次男に電話をしました。

 

母の血圧は徐々に下がり始め、呼吸数も少なく弱くなっていきました。

「もうすぐOO(次男)が来るからもうちょっと頑張ろう!」と母に呼びかけていた私。姉は懸命に母を呼び目を覚ませようとしていました。

「△■☆△■☆…」何日も話さなかった母が何か一言だけ、残っている力を振り絞るかのように一言だけ何かを言いました。

 

その後、母の呼吸は止まり、母の「まだ生きたい」という気持ちからなのか呼吸停止10分以上心臓は頑張って動き、次男の来るのを待っているかのようでした。

 

そして深夜3時。

最後の最後までDrも諦めず点滴治療をしてくれましたが、母は長い闘病生活に終止符をつけました。

 

40度近くあった熱も37.5度まで下がり、最終的には落ち着いた状態で逝けたのではないかと思います。

 

死亡確認後、やっと次男が到着。

自宅から病院まで深夜なので15分位で来れるはずなのに…

すると「見事なくらい信号が赤になってた」とすごく悔やんでいました。きっと父が「急ぐな!」と信号を操作していたかのように思えました。

 

深夜3時永眠・・・

私が調べた時間。正直鳥肌が立ちました。

次男に「だから3時ころが危ないって言ったでしょ!」と説教するも、一番後悔しているのは次男なので、それ以上言いませんでした。

 

MDSと戦う母の闘病生活と私の介護~ 入院5日目 夜 ~

一時帰宅した私と次男

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21時ころ病院にいる長男嫁から連絡がありました。

看護師さんの話によると「血圧が高く不整脈が出始めてきている」とのことでした。

一緒に一時帰宅した次男へ連絡しそのことを報告。今晩は長男家族と姉が付き添ってくれるので任せて自分たちはこのまま自宅で睡眠をとるか、ちょっと仮眠して深夜に病院へ行くか話し合いました。 

 

フッと気になったのがその日の「潮の満ち引き時間」。

 

人間の生死には潮の満ち引きが大きく関係すると昔から言われているのをご存知ですか?一般的には「干潮時間」と言われていますが父親の時と友人の時は満潮と干潮の間の時間でした。更に詳しく説明すれば、満引もなく穏やかな時間から少し潮が引き始めたくらいの時間。

新聞で満ち引き時間を調べたらその日は「午前3時」でした。

 次男と「今日はちょっと怖い気がするから午前2時頃病院へ行こう!」と決め電話を切りました。

 

私はその後、入浴しながらもソワソワし、なんだか落ち着かず、深夜1時頃、次男へ電話し「病院へ行く」と告げました。

次男も一緒に行こうかどうしようか…なんだかはっきりせずグズグズしているのに腹が立ち、「午前3時頃だから2時にはおいでよ」と言い私1人、病院へ向かった。

 

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