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父と母の闘病生活とわたし

父はがん・母は白血病で他界。闘病生活を送っている両親の気持ちや両親を支える(介護)する家族の実話

MDSと闘った母の死後

自宅に戻った母 実家は賃貸の集合住宅なので亡くなった人を部屋に入れると「事故物件扱い物件」となるのではないかと思い、父の時は自宅へ返してあげなかったのですが、オーナーに確認したところ「大丈夫」だとのことで母は1日だけ自宅へ戻ってきました。 …

MDSと戦う母の闘病生活と私の介護~ 母の旅立ちの日 

いつかはこの日を迎える・・・ 母が息を引き取ったあと、葬儀屋さんに連絡し午前5時頃、病院へ迎えに来ることになりました。 私たち家族は一度待合室で待機。 その間、看護師さんは母に取り付けられていた点滴を始め医療器具を取り、万が一の時ように紙パン…

MDSと戦う母の闘病生活と私の介護~ 入院6日目を迎える  

なんだか嫌な予感がしていた。 深夜12時頃、私1人で母のいる病院へ向かった。 母は相変わらず苦しそうに呼吸をしていましたが、顎の動きは小さくなりました。 熱はなかなか下がらず、医者も看護師さんも「熱さえ下がれば少し楽になるのに」と熱を下げる点滴…

MDSと戦う母の闘病生活と私の介護~ 入院5日目 夜 ~

一時帰宅した私と次男 21時ころ病院にいる長男嫁から連絡がありました。 看護師さんの話によると「血圧が高く不整脈が出始めてきている」とのことでした。一緒に一時帰宅した次男へ連絡しそのことを報告。今晩は長男家族と姉が付き添ってくれるので任せて自…

MDSと戦う母の闘病生活と私の介護~入院5日目~

相変わらず熱は下がらず・・・ 入院5日目、相変わらず熱は下がらず。 抗生物質や熱を下げる点滴、氷枕…少しでも熱が下がり身体が楽になるように看護師さんも一生懸命でした。 母は顎を大きく動かし一生懸命口呼吸をしていましたが、だんだん顎の動きが小さく…

MDSと戦う母の闘病生活と私の介護~ スピリチュアル体験 2 ~

あれは本当に母の姿たったのか… ビニール音、黒い影…その時は何も思いませんでしたが、不思議なことが起きた入院5日目になった日。 早朝5時くらいに姉と交代し、私はまた仮眠をとることにしました。

MDSと戦う母の闘病生活と私の介護~スピリチュアル体験~

今でも忘れることが出来ない 心電図が取り付けられた4日目の夜、私と姉、姉娘が泊まり込みの付き添いをすることになりました。私は母のキーパーソンとなっているため、なるべく母から離れず付き添うようにしています。

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~苦しそうな口呼吸

「生きたい」気持ちが伝わってくる 入院4日目心電図が体に付けられ指には体内酸素を測る器具が付けられました。 心電図モニターの音は意識がなくなったとは言え、耳はちゃんと聞こえている母に聞かせたくなかったので、ナースルームに置いて貰いました。

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~もう意識はもどらない母

とうとう余命宣告をされてしまった 入院3日目の夕方。熱が40度まで上がり解熱鎮痛剤の点滴、抗生物質の点滴をしました。 主治医からお話があり長男・長女・次男・私みんな揃って最後の話を聞きました。 「意識のスピードからすると、全身に菌が回ってしまっ…

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~入院2日目

早くも「せん妄症」がでてきた母 入院2日目、朝から子供を次男嫁に預け、母の朝食に間に合うように病室へ行くと看護師さんが食べさせてくれていました。 それを見て一安心。

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~母の意識がなくなる

とうとうこの日がきてしまった… 入院3日目の午前中。 この日は兄嫁が付き添いをしてくれました。 お昼ご飯を食べさせに病室へ行った兄嫁。いつもは病室へ入ると気付くのになかなか起きない様子に異変を感じ看護師さんの所へ話を聞きにいった。 「昨日の夜か…

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~入院後~

やっぱり今回はいつもと違う母の様子 入院した翌日の午前中 「また始まったのょ(吐き気)もぅ嫌になっちゃった」 と半分ベソをかいているような声で母から電話が入りました。 「看護師さんに言って 吐き気止め 入れてもらいなよ」と言いすぐ病院へ。 病室へ着…

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~この日に限って・・・~

いろんなことが重なってしまった日 実家の上階に住む母の友人夫婦。 毎朝ゴミ出しついでに母の様子を見てくれていました。 母が転倒し倒れた日の朝、この日は母のところへ寄ることはありませんでした。 なぜなら、2日前まで姉と姉娘が泊まりに来ていて、友人…

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~再入院~

エアコンで冷えて発熱。 転倒した翌日、午前10時頃実家へ行くと母はまだ寝ていました。

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~転倒~

実家へ行くと母が倒れていた 子供たちが夏休みに入り数日経ったある日。 朝食を済ませ、子供に宿題をやるように言ったがその日に限ってダラダラしていた我が子。なるべく早く実家へ行きたい私はイライラしていました。

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~気を付けて監察~

血小板が低い母の何を監察してたのか 私がいつも気を付けていたのは「発熱・血圧・口の中の血豆・傷・便」です。

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~担当医 移動

4番目の担当医は可愛らしい先生 また担当医が交代になりました。今の担当医は他の病院へ移動になってしまったため、 担当医が出張中や外来輸血の時に何度かお世話になったことのある担当医の後輩先生をご指名で新しい担当医について頂きました。 その先生は…

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~膝裏のしこり その後2

皮膚癌?じゃないかも… 大出血事件から数週間後、しこりは出血した分だけ小さくなっており2ヶ月も経つと何もなかったかのように綺麗になくなってしまいました。 そのことを担当医に相談してみると「もしかしたら癌じゃないのかもしれない…癌(腫瘍)だった…

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~膝裏のしこり その後

皮膚がん?リンパ腫?と診断されたしこりのその後。 姉家族が実家へ泊まりで来たとき、母が入浴後に身体を拭いていたら、キノコのような形のしこりにタオルがひっかかったのか、出血。 その場に私はいませんでした。 母から聞いた話によると・・・ ドクドク…

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~熱が下がらない

カロナールを飲んでいても38度の熱が続く 色々な検査をしても目立った菌や原因はみつからず、担当医からは「腫瘍熱」と言われました。 腫瘍熱の診断基準 ① 37.8 ℃以上の発熱が少なくとも1 日1 回あり、その期間が2 週間以上にわたる。 ② 身体所見や採血結果…

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~徐々に元気がなくなってきた母

だんだん弱ってきた母 退院して2週間が経ちました。 退院してから食事も幼児が食べる程度ですが、色々なおかずをチョコチョコつまんでます。 熱もカロナールを毎食後服用していますが、36度~37度台で落ち着き以前のような38度前後の熱は出なくなりました。ただ、…

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~また肺炎

生きているのが奇跡 高熱が続き病院へ連れて行き検査したところCRPが30もありビックリ‼ その後、主治医からお話があり、 前回退院した後に新しくできた肺炎だそうです。 胸の痛みは胸膜に炎症が当たってる?みたいで痛みが出ているそうです。 今朝の血液検査…

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~看護師のいろいろ 3

今は男性看護師も活躍中 母の入院する病院では多くの男性看護師さんが活躍していました。 仕事内容は女性看護師さんと同じです。

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~転院を考える

なにを重視して病院を選ぶか… 父が癌で入院したとき、母の担当医(A先生)が移動になりB先生へ変わることが決まりました。辛い抗癌剤治療で精神面でも助けてくれたイケメンのA先生がいなくなるのは、母にも私にもショックでした。(イケメンだし…笑) 父が入…

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~CRPが30もあった

CRPが高い状態での退院から38度チョイの熱が数日続き病院へ… 血液検査・尿検査では菌は見つからず、CT検査をするがとくに問題なく「腫瘍熱でしょう」とカロナールを処方され帰宅しました。 帰宅後、38度以上熱が出たら解熱剤を飲んで、薬飲んでも37度台で倦怠感も…

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~母の食事

免疫力が低い(ない)ので食べ物は怖かった 入院すれば滅菌食が出されていました。

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~口の中に複数の血豆

前回の入院・退院から病状も安定し3カ月入院することなく過ごしていました。 以前から突然口の中に血豆が出来るようになってきていました。一番大きいもので2cmちょっと。輸血をすると自然にポロっと取れてしまうみたいです。

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~退院直後、力が入らず・・・

体調不完全な退院? CRPが高い状態で退院することになった母。 帰路の車内ではいつもと違ってあまり喋らず少々元気のない様子でした。

介護する人・される人

お互いちょっぴり複雑な気持ちでした 父がなくなってから母が自宅で過ごしてる間、毎日実家へ通いました。 朝、子供と旦那を送り出し、掃除・洗濯、朝10時半頃には実家へ… 母と洗濯を干したり掃除したりし、昼食・血圧測定・体温計測。 下の子が午後はお昼…

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~良い医師・ダメな医師

ドクハラ?医師が自ら治療をやめようとした 医者の立場から見れば、「輸血を必要としている多くに人に…」とそう思うのも分からなくもないです。しかし母は意識はハッキリしておりとにかく元気なんです!

MDSと闘う母の闘病生活と私の介護~認知症と似ている「せん妄症」

酷い貧血でなかなか退院できない母がおかしくなった 今回の入院は赤血球(Hb)の上がりがゆっくりで退院するには少々時間がかかっていました。いつものことですが母は長引いている入院から「もう死ぬのかしら…」と思い詰めていました。

浴槽で力が入らず…

この日は昼風呂。リラックスしていたら… 冬場だったので暖かい日中に入浴。浴槽につかりリラックスし「じゃあ体を洗おうか」と浴槽から出ようとしたら「手足に力が入らない」… 何度もチャレンジするが自力で立てない。私もビチャビチャになりながらも母を抱…

皮膚がんなの?

膝の裏にできもの 左膝裏のちょっと下に大きなニキビのような赤くて硬いものが出来ました。母は「痛痒い」と言って主治医に相談。同じ病院内の皮膚科へ行くように言われました。 皮膚科に行くとなんなのかわからないので「ちょっと切って細胞を取りましょう…

良くなかった?肺炎球菌注射

肺炎球菌の予防接種をしたら腕が腫れ上がり発熱… 外来の日、主治医に「肺炎球菌はやったほうがいいですか?」と聞くと「もちろん」と言われ早速肺炎球菌注射をしました。

父の死後

便秘ギミからの腸炎で念のため5日間入院しました。 父の葬儀が終わり初七日を過ぎたとき便秘からの腹痛で病院へ連れて行きました。

これまでの私

母のサポート。父の入院 私は姉・兄2人の4人兄弟、長男・長女は車で数時間かかる場所に住み、次男と私は実家からは歩いてすぐの場所に住んでいました。 母が骨髄異形成症候群と診断された頃は私自身認識がなく全くの他人事でしかありませんでした。「鼻血…

母 また入院

輸血の日で病院に行ったら37.9の微熱があり緊急入院しました。 「とにかく数値がみんな低いので本人の免疫力との闘いですね。菌に勝てれば1~2週間で退院出来るケド、菌が強かったらごめんなさい」 …と担当医に言われました。

今後の治療方針

経過観察しかない 退院からかれこれ半年が経ち、退院後は外来で2週間に1回の血小板と赤血球の輸血をしています。 そんなある日突然主治医から「今後の治療方針についてご家族の方とお話をしたいのですが…」と連絡があり病院へ行ってきました。

母 退院1か月

血小板またさがる… 退院して1ヶ月は調子良かったのですが、血液検査で血小板1.9まで下がり輸血。 前回の輸血(約2週間)後、血小板0.9まで下がり輸血。 調子良くきてたのに血小板だけが急激に減少してます。

母の退院後の様子

退院後の様子 退院6日後の血液検査結果 白血球 2.49 血小板 3.8 ヘモ グロビン9.4 緊急入院した頃よりは数値が上がってるらしいので安心しました。

母 退院

2回目の抗癌剤治療が終わり退院することになりました。 母の入院している病院はクリーンルームがナイので、ずっと個室で監禁状態です。 ビダーザ(抗癌剤)やってる時は部屋の外に出てお風呂まで歩いたりしていましたが、2回目の抗癌剤治療の時ははシャワー付き部屋なの…

脱毛とかゆみ 

副作用で頭皮のかゆみと脱毛が始まった(母) 抗癌剤終了1週間後くらいから頭皮にかゆみがではじめ、かゆみと共に脱毛がはじまりました。 クリーンルームの代わりに個室で監禁状態なため、抜け落ちた毛を集めては凹んでの日々が続き、薬のせいだとわかってい…

抗癌剤治療の経過

副作用の吐き気は1回目の全く効果のなかった抗癌剤の時と同ように「吐き気止め」を 点滴で入れてくれてたので、嘔吐することはありませんでした。 私が一番心配だったのはやはり発熱でした。 抗菌薬でなんとか下げてました。 血液の数値が低いので2種類の抗菌…

無事終了

無事に抗がん剤治療が終わりました。 抗がん剤と抗生物質で便がゆるく、3日間紙パンツを履いてましたが、整腸剤と、頓服の下痢止めで落ち着きました。母本人もホッとした様子です。やはり排泄に関してはいくら病人でも嫌なものだとつぶやいていました。

2回目の抗癌剤治療

2回目の抗がん剤治療。 「キロサイド」と「イダマイシン」という薬を70%に減らし、首から管を入れての点滴投与です。 投与2日目、朝から食欲不振・倦怠感。 日中は、赤血球と血小板の輸血をし、夕方から熱が38.5度まであがりました。 投与3日目、メロベン(抗…

治療方針変更

先日DrからCAG療法の説明を聞きましたが、違う抗がん剤治療をすると言われました。 元々、一時帰宅する時に ①経過観察 ②CAG療法 ③CAG療法よりチョットきつい抗がん剤治療 のどれにするか…と言われてて、母は③をやる覚悟で再入院しました。

骨髄注射

「骨髄異形成症候群」と診断されて3回、骨髄液を抜く骨髄注射をしました。 1回目は入院する前。名医の先生に「骨髄検査をします」と言われたものの実際処置に当たったのは若い専修医(のちの主治医)でした。 初めて会う先生+若い先生=不安 だったそうです…

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