父と母の闘病生活とわたし

父はがん・母は白血病で他界。闘病生活を送っている両親の気持ちや両親を支える(介護)する家族の実話

父 危篤状態

血圧が70まで下がり危険な状態です

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「このままですともって2日」と余命宣告されました。

 

そんなある日「血圧が70まで下がってきているので今のうちに合わせたい方を呼んでください」と主治医から言われ、部屋もゆっくり出来る様に個室へと移動してもらいました。私が急いで病院へ行くと心電図モニターがベット横に置かれていました。

看護師に様子を聞くと「血圧は下がっていますが今は落ち着いています」と一安心。

翌日には血圧98まであがり安定しました。

「頑張ってる!頑張ってる!」ただその一言です。

突然の入院だったためにまだやり残したこと沢山あったと思います。そう考えると「まだまだ」という父の気持ちがすごくわかるような気がしました。

父は返事程度でもういろいろとは喋らなくなってきました。

体の痛みを押されるのにモルヒネの投与をしています。モルヒネを投与してからは「マッサージしてくれ」とか言わなくなってきましたが、マッサージされていると安心する様子。

 

 

食事はもう全く食べません。

一番最後に「食事」的な物を食べたのは入院してから10日くらいたった時でした。

「カレーが食べたい」と言っていたそうで、なぜだか長男の嫁さんから「お父さんカレーが食べたいって言ってるから作ってあげて」と連絡が入りました。

一瞬「また私?!」と思いながら長男の嫁曰く「娘の作ったカレーがいいんだよ」って…またそうやってなんでもかんでも私にやらせる…なんて思ってました。

レトルトカレーも好きだった父。

「作ったカレーがいいのかレトルトがいいのか…」と聞くと「作ってきて」というので具材を細かくしトロけさせたものとご飯を病室に持ち込み食べさせました。

 

ほんの5口かな…

それでも父自身は頑張って食べていたと思います。

その後はアイスを2口程度とかゼリーを一口とかしか食べなかったので、私の作ったカレーが最後の食事となってしまいました。今になってからレトルトなんかじゃなくてちゃんと作ったカレーを食べさせてあげる事が出来て良かったと思いました。

 

それから4日後、母はちょっとまだ微熱があるものの主治医からOKを貰い退院することになりました。

母を病院へ迎えに行き、その帰りに母を連れて父の病院へ行きました。

母が来てから父も返事程度ですが話しをしていました。

ただ母は「感染症」が一番怖いので父の病院通いにもかなりのリスクがあります。

二重にマスクをさせ、気安めですが首から掛ける除菌剤、父の病室には空気清浄機を持ち込みました。

 

母が退院したことで私が父の病院へ来れる回数が増えました。

日中は母のいる実家へ行き母と会話をしながら母の様子を見て夕方から母を連れて父の病院へ行き面会時間まで一緒に付き添っていました。

 

血圧が一気に下がり主治医から「危険な状態です」と言われ2週間が経ちますが、状態は落ち着き頑張っています。意識も全くないわけでもなく「うるさい」とか「水」とか一言二言は話します。

個室に移動して3日後くらいだったか、突然父が「ナースコールを手に持たせてくれ」と言うので手に握らせましたが「紐で解けないようにぐるぐる巻きにしてくれ」と訴えます。私も母も??だらけでした。「散々な思いをしたんだ」「この部屋に泥棒が入ってきたんだ」と??なことばかりあまり話しなくなった父がしていました。

ナースコールをぐるぐる巻きにして10分後「コレ外して」というので外しました。

 

「せん妄症」です。

せん妄症とは幻覚・幻聴や妄想など記憶障害みたいな感じで「認知症」にでもなってしまったかのような感じです。

このせん妄症は重度の手術をした方や亡くなる前などによく怒る現象でもあります。

始めは頭の中にも癌が転移して頭がおかしくなってしまったのかと思いましたが、最後はみんなそうなるらしいです。

 

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