父と母の闘病生活とわたし

父はがん・母は白血病で他界。闘病生活を送っている両親の気持ちや両親を支える(介護)する家族の実話

MDSと戦う母の闘病生活と私の介護~ 入院6日目を迎える  

なんだか嫌な予感がしていた。

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深夜12時頃、私1人で母のいる病院へ向かった。

母は相変わらず苦しそうに呼吸をしていましたが、顎の動きは小さくなりました。

熱はなかなか下がらず、医者も看護師さんも「熱さえ下がれば少し楽になるのに」と熱を下げる点滴を入れてくれたり、氷枕をこまめに交換してくれたり懸命に治療してくれました。

 

深夜2時半頃。

酸素数値が全く測れなくなり、呼吸の回数も少なくなってきました。

看護師さんは心電図モニターを病室へ持ってきてくれました。

医師がやってきて「まだ来ていらっしゃらないご家族様がいましたらご連絡をしてください」と告げられ、即次男に電話をしました。

 

母の血圧は徐々に下がり始め、呼吸数も少なく弱くなっていきました。

「もうすぐOO(次男)が来るからもうちょっと頑張ろう!」と母に呼びかけていた私。姉は懸命に母を呼び目を覚ませようとしていました。

「△■☆△■☆…」何日も話さなかった母が何か一言だけ、残っている力を振り絞るかのように一言だけ何かを言いました。

 

その後、母の呼吸は止まり、母の「まだ生きたい」という気持ちからなのか呼吸停止10分以上心臓は頑張って動き、次男の来るのを待っているかのようでした。

 

そして深夜3時。

最後の最後までDrも諦めず点滴治療をしてくれましたが、母は長い闘病生活に終止符をつけました。

 

40度近くあった熱も37.5度まで下がり、最終的には落ち着いた状態で逝けたのではないかと思います。

 

死亡確認後、やっと次男が到着。

自宅から病院まで深夜なので15分位で来れるはずなのに…

すると「見事なくらい信号が赤になってた」とすごく悔やんでいました。きっと父が「急ぐな!」と信号を操作していたかのように思えました。

 

深夜3時永眠・・・

私が調べた時間。正直鳥肌が立ちました。

次男に「だから3時ころが危ないって言ったでしょ!」と説教するも、一番後悔しているのは次男なので、それ以上言いませんでした。

 

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